ご質問ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 絵がとってもきれいですね!!! 最初にさぁ~っと一読した時は、ふぅんと簡単に分かったつもりになりました。 が、読めば読むほど、分らないことがむくむく出てきて・・・・。 なので、このサイトを作っていただいて、すっごく嬉しいです!! まず、質問です。 〇〇如来(大日如来、薬師如来、阿弥陀如来) 〇〇菩薩(文殊菩薩、聖観音菩薩など) 〇〇天(閻魔天、帝釈天、など) 〇〇明王(不動明王、降三世明王など) 〇〇神(三宝荒神、稲荷明神) といった名前? 階級のようなもの? の区別はどういうものなのでしょうか? そういえば、孫悟空に出てくるのは三蔵法師ですよね。 法師というのも、これに似たものなのでしょうか? ぜひ教えてください。 これからも、きっとわからないことがたくさん出てきそうな予感がします。 どうかよろしくお願いします。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー たいままさん、ご質問ありがとうございます。m(_ _)m 絵はリアルなイラストは友人の山本貴嗣氏が、本当に力を込めて描いて下さいました。 山本氏はいつもは忙しい方なので、一ヶ月半も時間を取って描いて頂けたのは本当に奇跡だったと思います。 さて、仏さま神さまの『如来』『菩薩』『明王』『天』『神』などの区別に関する事ですね。 仏教では六道輪廻(ろくどうりんね)という言葉がありますが、『地獄界』『餓鬼界』『畜生界』『修羅界』『人間界』『天界』この六つを六道といいます。仏さまの世界は六道にはありません。 六道の住民には寿命があり、我々人間は六道の世界を輪廻してぐるぐると回ってると言われています。 つまり、悪い事ばかりして心が荒んだ人は死んだ後に『地獄界』に生まれ変わったり、良い事をいっぱいして心豊かにくらした方は死んだ後に『天界』に生まれ変わったりするということなのですが…。 逆に言えば、天界の住民にも寿命があり、下手をすると人間界や地獄にさえ落ちる可能性があると言う事なのです。 そこで、寿命や輪廻の苦しみから逃れるために、天界の神々も仏教に帰依して修行をするものが出て来ます。それが○○天といわれる神々です。 天部の神は仏教の守護神として仏教の尊格となり、仏道を学ぶ人々を守り導くという役目を持ちます。 天界が人間界に近い事も有り、人間に対して大変影響力も強く、人間にとっては大変頼れる神さまと言う事になります。 日本の神さまも、弘法大師 空海の時代に仏教の守護を約束した神さまを本では取り上げさせて頂きました。 天部の神々は、ほとんどが元はインドの神々で、歴史の中で仏教の守護神となった尊です。 さて、六道ではない『如来』『菩薩』『明王』を含めると、2通りの方向性でみる事が出来ます。 まず1つの方向性は、真実そのものである大日如来の完全なる悟りを開いたのが『如来』です。 しかし、如来だけでは各界の色んな人々を救う事が出来ないために、人々の中で修行をする立場である『菩薩』に変化します。そこで細かく人々を救います。 また、如来は、『菩薩』では救い難い方々を救うために、『明王』という荒々しい姿に変化して、力ずくで人々を細かく救います。 さらに細かく救うために天部の神々にも変化して、まず人々を守るのです。 もう1つの方向性(この方向性は我々の立場から見たもの)では、天部の神々である『天』も、『明王』も『菩薩』も、『如来』になるために人々を救って修行をしているというものです。 『菩薩』とは如来になるために仏道修行をする立場のものに対する呼び名でもあり、一生懸命仏教を学んだり、人々を助けようといろいろな活動をされている方々も、広い意味では『菩薩』と呼べるのです。 この2つの方向性は、救おうという流れと、救われたいという流れ は全く同じであるという意味を持ちます。 つまり、我々はもとより全ての存在は大日如来(根本の真理)の現れであると言う事なのです。 ですので、『階級』と言う見方とは少し違うように私は思います。 ただ、眷属という形で如来をサポートする菩薩がおられたり天がおられたりしますし、その眷属としてさらに多くの夜叉神等がサポートする場合も有り、そういった意味では『救いの役割』としての上下関係があるとも言えると思います。 見かけの簡単な区別であれば、 如来は大日如来以外は、シンプルな出家の姿ですが頭は坊主頭ではなく髪の毛は螺髪(小さなくりくり)になっており頭の頂点が盛り上がり肉髻となっております。装飾品はありません。大日如来だけは装飾品も多く宝冠をかぶっております。螺髪もありません。 菩薩は髷をあたまの上に結い上げて、宝冠やその他の装飾品を多く身に付けています。眉間に白豪という白い毛が丸まったものがあります。馬頭観音菩薩以外は静かなお顔をされています。 明王は、大変怖い顔をされていてます。しかし、孔雀明王だけは菩薩のような静かなお顔をされています。 天部の尊は、装飾品は多い場合が多く、蓮の蓮台ではなく、荷葉座や岩座の上におられ、眉間には白豪がありません。 それから、『法師』についてですね。 法師は一般的には『出家者』や『僧』の事を指します。 ただ、三蔵法師は、多くの聖典に深く通じた高僧の事です。 解りにくかったですかね。すみません。 解らなかったらまた、懲りずに質問をお願い致します。 それから、これはあくまで私が複数の師から授かった教えを元にした私の見解ですので、違うお考えの方々もいらっしゃると思います。 何か善きアドバイスのおありになる師がいらっしゃいましたら、書き込みを頂ければ幸いに存じます。 |
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